「ありたい自分」も「あらねばならない自分」もそれぞれの人にとって、自分が設定した目的地であることに違いありません。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」とは徳川家康公の言葉です。ある意味で真実ではあると思いますが、きついですよね。
しかし、人生は目的地に向かって歩み続けるものと言えると思います。
その目的地は人それぞれですが「大会社の社長になりたい」「歌手や俳優になりたい」「プロスポーツ選手になりたい」「平凡でいいから暖かい家庭を持ちたい」「皆のお役に立ちたい」「苦しんでいる人を助けたい」「自由気ままに生きたい」等々、様々な目的地を設定していることでしょう。それはそれで素晴らしいことだと思います。
話は少し変わりますが、例えばあなたが友人と知らないカフェで待ち合わせをしているとします。そのカフェに行かなければなりません。その時あなたはどうしますか?
今はスマホと言う便利なツールがありますから、マップアプリで目的地を検索してスマホに案内をしてもらいます。
しかし、ほんの10年前は地図を見なければいけませんでした。
まず地図の中の目的地であるカフェを探します。
カフェは地図に書いてあります。
そうすると目的地は確定できます。
しかし、目的地を確定しただけでは、その目的地にたどり着くことはできません。
目的地にたどり着くにはもう一つの情報が必要です。
そのもう一つの情報って何でしょう?ちょっと考えてみてください。
「道順?」「地図の向き?」
確かにそれも重要です。
しかし、最も重要なもの、それは「現在地」です。
正確な現在地が分からなければ、右に行ったらいいのか左なのか、どうしたらいいのかわかりません。
ですから、ショッピングモールなどの案内板には、赤い丸で現在地が示してありますよね。
正確な現在地が分かって初めて「道順」がわかって、一歩を踏み出せるのです。
人生の目的地に進むのも、まず「現在地」を明確にする必要があります。
人生の現在地って何なのか。
それは、「たった今の自分」「そのままの自分」であろうと思います。
つまり「そのままの自分を、そのまま認める」ことが現在地を知ることなのだと思います。
そこにプライドや自惚れがあると現在地を見誤ります。
自己否定や自責の念があっても現在地がずれてきます。
自分を着飾ることも、否定することも全く必要ないのです。
今、私はここにいる。
「そのままの自分を、そのまま認める」こと。
そうしたら、現在地が目的地であったことに、気づくことが出来るのだろうと思います。
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