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執筆者の写真一宇ichiu

出来事には意味はない

もともと、私たちの周りで起きている出来事には、実は何の意味もありません。

こういうと、ほとんどの方が否定されると思うのですが、意味がないというのは無意味ということではありません。その出来事そのものが意味を持っているのではなくて、出来事に対して、あなたが意味を与えているということです。そこには体験、現象、事実があるだけなのです。


その出来事、体験に対して自分がどういう基準で判断をし、価値を与えているかによって、あなたにとっての出来事の意味が決まっているのです。

例えば、訪問先でお茶を出されたとします。そのお茶に対して、人によって色んなことを考えます。いろんな反応を起こします。たとえば、「あ~おいしい!」という人もいれば、「なんだこのお茶は! 渋くて飲めたもんじゃない!」。あるいは「高そうな、いいお茶!」という人もいれば、何も思わない人もいる。人それぞれいろんな反応をします。そして、自分が感じたことをもとにして、さらに反応していきます。

「おいしい!」と言った人は「ありがとう。」と言う。「まずい!」と思った人は、さらに色んな反応することでしょう。「私の口には合わないけど、一生懸命入れてくれたんだよね。ありがとう。」と思う人もいれば、中には「なんでこんなお茶を出すんだ! 嫌がらせか?」とか、「こんなお茶しか出してもらえないの? 嫌われてるのかな?」と思ったりする人もいるでしょう。


「ありがとう!」と思った人は、その瞬間幸せな気持ちになれますが、「こんなお茶!」と思った人は、不快な気持ちになります。ではどこに問題があるのでしょう。そのお茶は同じ一杯のお茶なのに、何が違ったのでしょうか。

お茶はお茶。それ以上でも、それ以下でもありません。そのお茶に対して、自分がどのような価値を与えているのか。それによって、あなたにとってのお茶の価値が決まっているのです。


そのお茶に、自分が「×」というレッテルを張っておいて、自分が張ったレッテルに向かって文句を言ったり、不安がったりしているのです。だって、「○」のレッテルを張った人は、「ありがとう。」と言っているのですからね。

そこには、ただ「お茶」という事実があるだけ。しかし、そこに自分がどういう価値を与えているかで、その出来事の自分にとっての意味が決まってくるのです。

「猫に小判」ということわざがあります。一般に「物の価値の分からない人」という意味で使われますが、ではその価値はだれが与えているの?ということになってきます。猫にとっては、小判よりサンマ一匹の方がはるかに魅力的です。つまり、「小判そのものに価値があるのではなくて、受け取る人の状況や趣味嗜好、優先順位、その時の都合などによって物事の価値は変わる。自分が与えた価値によってその意味が決まってくる。」ということなのです。


そのようにして、周りの出来事、物、現象に自分自身が意味付け、価値付けをして、自分が付けた意味の中で生活をしているのです。

そして、その意味付けも、ほとんどの場合その時の自分にとって、都合が良いか悪いかで変わってきます。都合ですから、同じ出来事でも都合によってコロコロ変わってきます。


例えば、あなたにとって大切な人が亡くなったとします。そうすると、悲しくつらい思いをします。そのように、生きていればそうした辛い出来事、悲しい出来事というのは、残念ながら間違いなく起きてきます。そうすると、悪いことが起きたように受け止めてしまいがちです。

しかし、人が亡くなる事は悪いことでしょうか。そうではないですよね。当たり前のことが起きているだけのことです。間違いなく人は死ぬのですからね。それが、自分にとって辛かったり悲しかったりするから、悪いことが起きているように受け止めてしまうのです。

しかし、殺したいくらい憎んでいる人が死んだりすると、嬉しかったりします。

「そんなことは思ってはいけない。」と頭で考えながらも、そんな風に思ってしまうことがあるのも事実です。そのように、私たちは人の死すらも、その時の自分の都合で意味付けをして、右往左往しているのです。


私たちは、苦しいことや悲しいことが起きると、悪いことが起きていると受け止めてしまいます。しかし、苦しいことや悲しいことは確かに起きますが、悪いことが起きているわけではないのです。自分がそのように意味づけをしているだけのことなのです。

では、なぜ苦しいとか悲しいとか悔しいとか思うのか。それはその時の自分にとって都合が悪いだけのことなのです。その時の自分の都合で意味付けをして、勝手に不安がったり悲しんだりしているだけのことです。都合ですから、同じ出来事に対しても、その時の都合によって違う意味付けをしてしまいます。


例えば、あなたが大好きな人とデートの約束をして、待ち合わせ場所に車で向かっているとします。しかし、ずっと赤信号ばかり。「なんで!ついてない!」とイライラしはじめます。信号に文句を言いたくなります。


しかし大嫌いな人と会わなくてはいけない時はどうですか? 「ラッキー! ずっと赤信号のままでもいいのに!」なんて思ったりします。そんな感覚、よくありますよね。ちょっとした出来事に一喜一憂しています。


しかし、信号はあなたの都合には全く関係なく、決められた通りに赤になったり青になったりしているだけなのです。あなたのデートの邪魔をするために、赤になっているわけではありません。皆がスムーズに通行できるように、事故が起きないように赤になっているのです。もっと言えば、あなたの命を守るため。更には、あなたが恋人と楽しいデートができるように赤になっているのです。


そのように、赤信号の「本当の意味」に気づくことができれば、常に「ありがとう!」になるはずです。


つまり人生をスムーズに生きるコツ、問題を解決するコツは、「物事の『本当の意味』に気づける自分になる」ことなのです。

しかし、ほとんどの人が問題を解決する方法というのは、出来事や状況を自分の都合の良いように変えることだと思い込んでいます。だからそこに問題が発生してくるのです。

「私の人生、ずっと青ならいいのに!」「信号を自分の思うようにコントロール出来るようになったらいいのに!」「そんな幸運な人生だったらいいのに!」と言いはじめます。


それは無理なことです。あなたの前がずっと青なら、反対側はずっと赤になります。大迷惑です。そうすると「なに、あいつ!」と周りに不満が生じます。「俺の方が青がいい!」「いや私の方が青がいい!」。そこに、混乱や争い、奪い合いが生じます。大渋滞、事故多発ということになるのです。思い当たる節はありませんか?


実はもともと何も問題は起きてはいなかったのです。しかし、本当の意味に気づくことができていない私たちが、何もないところに問題を作り出してしまったのです。逆にいうと、本当の意味に気づくことができる自分になれば、問題は起きて来ないということになります。

つまり、問題を解決するということは、周りの状況や人、出来事を自分の都合のいいように変えることではなく、「物事の『本当の意味』に気づける自分になる」ということなのです。本当の意味に気づけば、何も悪いことは起きていなかった事がわかります。実は素晴らしいことしか起きていなかったことがわかります。

すべてに「ありがとう」になります。


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