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  • 執筆者の写真一宇ichiu

仏法は我一人がためなりけり

上級講座修了生の感想文に、お約束のように出てきていた言葉です。

補足でも書いていましたが、改めて解明をしたいと思います。

正式には「仏法は親鸞一人が為なりけり」です。


親鸞上人は皆さんご存じのように、浄土真宗の開祖です。


その親鸞上人が「仏法は私一人の為にある」と言ってるのです。なんと傲慢なことでしょう。と、受け取ってしまう浅はかな自分がいます。

しかし、何度も咀嚼すると、そこには清々しいほどの覚悟と謙虚さを感じます。


万人に向けられたお釈迦様の教えを、「私一人のためにお話しくださってるという思いで受け止めます」という深い覚悟と、この上もない感謝と、いさぎよさを感じるのです。


上級講座の受講生の皆様も、「私一人のために皆さんが教えてくれている」「全ての出来事が、私一人の気づきのために起きている」という感謝と謙虚さをもって、受講されたのだと思います。

ですから、あの素晴らしい感想が出てくる程の気付きがあったのでしょう。


全ての人、全ての出来事が、私一人のために大切なことを教えてくれています。


「仏法は我一人が為なりけり」改めて謙虚に耳を傾けます。






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