検索
  • 一宇ichiu

上級講座4期感想文➀ Y・Hさん

更新日:2021年7月5日

先日行いましたセラピスト養成上級講座修了生の感想文をご紹介いたします。

上級では単なるテクニックではなく、「人として、セラピストとしてどうあるか」を考え、「人間の素晴らしさに気づく」ことを目的としています。

受講生の皆様には沢山の気付きがあったようです。

お一人ずつ回を分けてご紹介いたします。

文中、宗教的な言葉が出てきますが、宗教組織とは無縁ですので、誤解なきようお願いします。

まずはY・Hさんからです。



『遅くなりましたが、上級講座の感想を送ります。

言葉にするのが苦手なので分かりにくいかと思いますが、ご容赦ください。

始めに陣野先生をはじめ皆様方、二日間ありがとうございました。

中級講座ではとても色鮮やかな体験をしたので、上級ではまたどんな色が加わるのだろうと思っていましたが、上級講座は「水墨画」のようでした。

セラピストとして、人間として、どうあるべきか。

深く考える時間でした。

「神そのものである私が、神そのものであるあなたに話しかける」

私は「自分=神=あなた」と思う事がどうしてもできず、理解に苦しんでいましたが、今回の講座で初めて腑に落とすことができました。

家に帰ってテキストを読み返してみると、載っている言葉ひとつひとつ、心に染み入ります。

講座を通して感じたことは、私は今回ずっと皆さんに助けて頂いていた、という事です。なかなか言葉に言い表せない私に「伝わっているから大丈夫だよ」と声を掛けて頂き、涙が出そうになりました。

「仏法は我一人が為なりけり」

私も今回の講座でこの言葉を深く感じています。

全てに感謝です。

きっと、ずっと前から知っていた。。。そんな風に思える心地よい空気感。

2日間では味わい尽くせない想い。

本当にありがとうございました。

余談です。

あらためて、上級講座の事を考えてみました。

大海原の上で瞑想している姿が見えました。海は凪。心穏やかに。

ここからがスタートです。

私自身には分からないのですが、私の周りのエネルギーが変わったのでしょうか。

子どもが二人ともエネルギー詰まりのような症状で学校を休んでしまいました。

存分にハグして、笑って、お昼頃には二人とも元気になり、次の日は普通に学校に行きました。医学的には自律神経の乱れ、というのかもしれません。

また、ひょんな事から前世療法のお話を聞きたい、という人が現れました。

動き出している事を感じます。

「他力の中の自力」を心に留めゆっくりと進んでいきたいと思います。』以上



◆補足(上級講座資料より抜粋)


「仏法は我一人が為なりけり」とは


正式には「仏法は親鸞一人が為なりけり」です。

親鸞上人は皆さんご存じのように、浄土真宗の開祖です。

その親鸞上人が「仏法は私一人の為にある」と言ってるのです。なんと傲慢なことでしょう。と、受け取ってしまう浅はかな自分がいます。


しかし、何度も咀嚼すると、そこには清々しいほどの覚悟と謙虚さを感じます。

万人に向けられたお釈迦様の教えを、「私一人のためにお話しくださってるという思いで受け止めます」という深い覚悟と、この上もない感謝と、いさぎよさを感じるのです。


全ての人、全ての出来事が、私一人のために大切なことを教えてくれています。

「仏法は我一人が為なりけり」改めて謙虚に耳を傾けます。


閲覧数:74回0件のコメント

最新記事

すべて表示

☆3000人の前世療法で見えてきた【人生の法則Ⅰ】を、完全無料公開 下記「220925法則1公開.pdf」または「人生の法則Ⅰ公開.pdf]をクリックしてください。ダウンロードが始まります。 PC・タブレット向き スマホ向き 台風一過、すっかり涼しくなりましたね。 皆様いかがお過すごしですか? さて、私の一冊目の著書「3000人の前世療法で見えてきた【人生の法則Ⅰ】」も、発刊して6年になろうとして

フォレスト前世療法研究所の一宇です。連載4回目となりました。 まず初めに、前世療法とは今抱えている悩みや問題の大元の原因を前世までさかのぼり、ご本人に思い出していただき、解消するという手法です。私は、このセッションを始めて24年間で約4,000人のクライアントと向き合ってきました。その体験の中で、人生には実に明快な法則があることに気付きました。それは ①すべては私の思い通りになっている。 ②すべて

もともと、私たちの周りで起きている出来事には、実は何の意味もありません。 こういうと、ほとんどの方が否定されると思うのですが、意味がないというのは無意味ということではありません。その出来事そのものが意味を持っているのではなくて、出来事に対して、あなたが意味を与えているということです。そこには体験、現象、事実があるだけなのです。 その出来事、体験に対して自分がどういう基準で判断をし、価値を与えている