東さんカウンセリング

 

 

東「先生はよく全ては『〇』ですよと言われますが、例えば『×』なことがあっても『〇』だと思わなくちゃいけないんですよね。それって難しいです」

 

私「まず、あなたは『〇』の世界で生きていきたいですか?それとも『×』の世界で生きていきたいですか?」

 

東「もちろん『〇』の世界がいいです」

 

私「そうだよね。全ての人がそう思っているでしょう。ならば、あなたが「全てが『〇』」だという前提に立てるかどうかです。信号の事例でも言ったように、ほとんどの人が自分に都合がいいか悪いかで『〇』か『×』かを判断しようとします。しかも、その都合はその時の気分だったり、表面的な意味合いだったりする場合が殆どです。その時の不安感や悲しさや怒り、喜びや楽しさの度合いで決めているんです。そうやって、自分が『〇』か『×』かの判定をして、自分の判定に一喜一憂しているだけなんです。そうやって、すべて自分が意味づけをしているんだということに、気づく必要があります。」

 

東「それは分かりますが、やはり重い病気をしたり、だまされたり裏切られたりするとそれが『〇』だとは思えないんですが」

 

私「そうですよね。それが『〇』だとはなかなか思えないんですよね。しかし、それでも『〇』だという視点でその出来事を見ていくと、物事の本当の意味が分かってきたりします。

物事には常にプラスの側面とマイナスの側面があります。前にも言いましたが『すべての出来事は、私がなりたい私になるために、私が望んだ素晴らしい出来事』なのです。つまり、あなたが『どういう自分でありたいか』、に基づいてあなたが望んだ出来事なんです。

『どういう自分でありたいかと』いうのは、あなたが表層意識で求めているものではなくて、あなたが魂レベルで求めている自分の姿なのです。分かりやすく言うと『魂の成長』という視点で物事を見てみることです。自分の魂の成長にとって、この出来事はどういう意味があったのか、という視点で物事を見て行くと、今までと違う見え方がしてくるはずです。

あるいは、もし自分が神様であれば、この出来事の本当の意味をどう説明するだろう、と考えてみることです。

どうしても私たちは、その時の損得や感情で判断しがちですが、あなたの魂は何を求めて人間になったのかということを、考えてみる必要があります。

それは、人間界でのさまざまな実体験を通じて、さまざまな感情を味わいたい。そして、魂を成長させたいという願いを持って、生まれてきています。ならば、その目的に沿った物事の見方をすることです。

例えば重い病気にかかったとして、その現象面だけを見ると確かに『×』ですが、魂の成長にとってはどうでしょう?人の悲しみや苦しみが分かる自分になれるし、傲慢だった人は謙虚になるきっかけを得ることができるかもしれません。病気になって不安で苦しいという側面だけを見ると『×』に見えますが、魂の成長という視点から見ると、違う見え方がしてきませんか?何十年という人生のストーリーの中の1つの出来事として、それが全体の中でどういう意味を持っているのか、という視点で見ることです。それを、『×』という前提で見てしまうと、せっかくの学びや気づきのチャンスをなくしてしまい、その出来事から大切なことを学び取ることができなくなるでしょう。

もしそのチャンスを逃したとしても、魂はなりたい自分を目指そうとしますから、またそのチャンスが与えられますので心配は要りませんが、そういうチャンスは少ないに越したことはありませんよね。ならば、『〇』という前提で物事を見ることなのです。そうしたら本当の意味がわかってきます」

 

東「そういうことなんですね。少し分かってきた気がします」

 

私「よかった。ついでにもう少し付け加えると、『〇』にしなくちゃいけないんですよねというところもそうなんですよ。『〇』という前提に立ってないものね。「『×』なのに、これを『〇』だと思わなくちゃいけないんですよね」と思ってない?」

 

東「あ~そうですね」

 

私「そうですよね。という事はそれは『×』でしょう。」

東「無理して『〇』と思わなくちゃいけないと、まだ思っている気がします。」

 

私「そうだよね。そうやって『×』という前提に立っているあなたがいる。『〇』なのに『×』に見えてしまっているあなたがいる。『〇』と思わなくてはいけないではなくて、何を勘違いしてるんだろうと考えてみること。それがコツだし早道」

東「でも、自分の性格が嫌で嫌でたまらないところを、考えないようにすることができないです。自分の考えや性格を全て受け入れることもできません。」

 

私「そうなんだね。よほどのことがあったんだろうね。今の段階で全てを理解してもらうことも無理そうなんだけども、そういう自分の性格も嫌だ、自分のことが嫌いだ、ということを選択しているのもあなた自身なんだよ。嫌いな性格を持って生まれてきたあなたがいる。この性格というのは、実はあなたそのものでもないんだよ。そういう性格を通じて学んでいる、あるいは体験しているあなたがいる。というより、体験しているあなたの魂がいる。その性格も実はあなたにとっての教科書なんですよ。」

 

東「あーなんとなくわかります。そもそも、今まで自分だと思っていたものが、本当の自分ではないということですか?」

 

私「そうそう。そういうこと。仮の姿と言っていいかもしれない。現にあなたの中に嫌いな性格を持った自分と、それを嫌いだと言っている自分がいる。更にはそんな自分をも受け入れようと努力している自分もいる。様々な自分が内面にいて葛藤している。そこに歪みが生じる。そうすると成長のきっかけが生まれる。

自分の内面が一人であるならば悩みは生まれない。自分の中が、わがままな自分だけならば悩まない。それを反省する自分や責める自分がいるから悩みが生まれ、成長がはじまる。

と言うことは、どういう自分でありたいかという、明確なものが自分の中にあるということだよね。

全てを受け入れる器の大きい寛容な自分でありたいと思っているから、わがままで人を許せない自分が許せなかったり、嫌いだったりする。」

 

東「はい。そうですね。」

 

私「クライアントさんの中に、弱い自分に勝てる強い自分になりたいんです、と言われる方がいます。しかし、よくよく考えると変な話ですよね。強い自分が弱い自分に負けると言っているんです。弱い自分の方が強いと言っているんですね。それって本当に弱い自分なんでしょうか。変ですよね。

しかしそれを、魂レベルで見ていくと、おそらく弱い自分を体験したがっている自分がいるのだろうと思います。強い自分であってはいけないのです。弱い自分であることで学べる何かがあると思っているのです。さらに言えば、弱い自分を体験するということを決意した、勇気ある自分がいるということなのです。その勇気ある自分、強い自分が本当の自分の姿なのです。

例えば東さんも、「すべてを受け入れる器の大きい寛容な自分でありたい」と言いながら「わがままで人を許せない自分が許せない」と言っている。「すべてを受け入れる」と言いながら、自分のことは受け入れようとしていない。そこを受け入れれば、その瞬間すべては解消するはずなのに、それをしようとはしていない。つまり、自分を受け入れないことで何かを学ぼうとしているということです」

 

東「あ、確かに」

 

私「例えば今から演劇をするとします。東さんはいじめられっこね。鈴木さんはいじめっ子ね。私はかっこいい助ける役の人ね。という配役をします。そして幕が開きますそうすると、あなたはいじめられていきます。そうすると、なぜ私がいじめられなくちゃいけないの、と思ったり言ったりします。しかしそれは演劇でありストーリーなんです。あなたが、いじめられっ子の役をしたかったし、それを引き受けたあなたがいるんです。だってこの前はいじめっ子の役をしたから。」

 

東「あーそういうことですね。」

 

私「そうなんだよ。」

 

東「ということは、この嫌いな性格も自分で選んだんですね。」

 

私「そういうことです。言ってみれば、役作りなんですよ。普通の演劇では、今こういう役割を与えられて、舞台の上で演じています、という自覚があるけれども、しかし人生のドラマの中では、その役柄を100%体験する必要があるから、自分が選択をしたということも全部忘れて来る必要があるんです。

私がこのいじめられっ子の体験を選びましたという記憶があると、いじめられっ子の体験をするために、鈴木さんや佐藤さんに、私をいじめてとお願いをしたということが分かってしまう。そうすると、いじめられるという体験が出来なくなってしまいます。

鈴木さんがいじめてきても、私がお願いしたもんねと言う感覚があるから、怒りや悲しみや恐怖心を体験できなくなってしまう。そうすると、今回の人生の台本が意味をなくしてしまう。

なぜいじめられるという体験を選んだかというと、いじめられることによる恐怖心や悲しみや寂しさ、無力感を体験して、人の痛みがわかる自分になること。それが目的だった。しかし、自分にその記憶があると、いじめられるという出来事は起きても、恐怖心や無力感を感じることが出来なくなってしまう。そうすると体験の意味がなくなってしまう。私のお願いを聞いてくれてありがとうということになってしまう。

そうならないように、自分がお願いしたということを、全て忘れて生まれてくることになっている。だから100%の体験ができるんですよ。

だから、いじめられているあなたも、それはあなたではなくて、いじめられる体験を選択した、あるいはその役を引き受けた台本であり教科書であり、体験なんです。あなた自身ではないんですよ。

 

しかし、ほとんどの人が役作りをしている自分の中で物事を考えているから、答えは出てこないのです。いじめられっ子の枠の中からは出てこれないということになります。そうは言っても私いじめられっ子だもん、という枠の中に縛られることになります。あの人がいじめてくるもん、意地悪するもん、というレベルに止まってしまう。

なぜいじめっ子のあの人に『〇』をつけなくちゃいけないの!!いじめられるという体験に『〇』をつけなくちゃいけないの!!ということになってしまう。

しかし、そのストーリーの中にいる間は『×』という体験をする必要があるわけで、最初からそれも『〇』だということに気づいては、意味がないということになる。だから『×』だと、思い込む必要もある。どうしても『〇』だと思えないというのも実は正解なんです。分かりますか。難しいですよね。

 

自分がステージの上に立っていて、たくさんの役者仲間がいて、その中の一人があなたで、鈴木さんや佐藤さんが虐めてきたりする。そうするとあなたは「なぜ!!」と思う。そうすると怒りや悲しみや寂しさや絶望感に苛まれることになる。しかしそれは台本なんです。台本を通じて学んでいる自分がいるのです。舞台の上では確かにいじめが起きているから、一見するとそれは間違いなく『×』ですよね。しかしではなぜそういうストーリーや体験を選んだの?目的は何だったの?と考えた時に、いじめられることが目的だったのではなかったはずなんです。

痛みや悲しみを体験することで、人の痛みがわかる自分、優しい自分になることが目的だったはずです。そしてこういう自分になったならば幸せな人生が歩めるとわかっているはずです。

ということは、優しい自分になって幸せな人生を歩むことが目的であって、そのための手段であった今までのストーリーは、はたして『×』だったの?ということになります。そうではないですよね。『〇』ですよね。そうでしょう?

 

例えばあなたが東大に行きたいという望みを持ったとする。そうしたら、超進学校や東大進学塾に行かなくてはいけない。無名の大学に行くのならば、そんな進学塾や進学校に行く必要はない。しかしその進学校や進学塾に入れば、めちゃくちゃ勉強しなくてはいけない。寝る間もないほどの宿題も出される。過酷な体験が待っているということを分かった上でそれを選ぶんです。人生も実はそんなことをやっているんです。ではそれを最初に選択したのは誰なのということなんです。自分ですね。そうでしょ?進学塾を選べばとても厳しい先生と会うことになる。成績優秀のライバルばかりが集まっているから、自信をなくしたりすることもある。しかし、その先生やライバルは『×』なのっていうことになる。そうではないですよね『〇』ですよね。『〇』だけども、辛い体験は続くと言うことになります。

しかし、自分が望んだ自分になれてない間に、教科書や台本を手放すわけにはいかない。目的が達せられないからね。しかしもうなれているのに、合格点ももらっているのに、いつまでもそのストーリーの中に入る必要はない。」

 

東「それはどうやったら分かるんですか。」

 

私「それはあなたが決めること。もういいと思えるかどうかだし、誰かの許可が必要なわけでもない。」

 

東「もういいと実際思っているんですけど。」

 

私「では、なぜ人の痛みがわかる優しい自分になろうとしたのか、ということなのね。なぜだと思う?それは、人の痛みがわからない自分がいたということですよね。ということは、人の痛みがわからない自分が、誰かに迷惑をかけたり傷つけたりしたということ体験があるということが、想像できるよね。それを反省して、優しい自分になろうという体験を選択しているということだよね。そこに反省があるということです。漠然とした自己否定や罪悪感があるでしょ?」

 

東「はい確かにあります。」

 

私「そうだよね。自分は悪者のように感じる。価値がないように感じる。幸せになる資格がないような感じがする。そんな感覚を持っている人はたくさんいらっしゃいます。ということは、そう思ってしまった体験をした。自分がいたということです。そしてそれを反省して痛みのわかる優しい自分になろうと言う覚悟を持ったあなたがいたということです。

ということは、その罪悪感や自責の念がある限り、被害者の人生がずっと続くということになります。それを自分が選択していくということになるのです。こんな私が幸せになるわけにはいかない、という考えに支配されることになります。

 

東「あ、そんな感覚有りますね」

 

私「そうでしょ。それは決して神様から罰せられている訳ではありません。ならばなぜ自分がそういう罪悪感を持つようになったのか、一体どんな出来事があったのかその出来事を明らかにすること。そして、その出来事によって傷ついた被害者がいるはずだから、その方にしっかり謝罪をして、和解をすることで、あなたの罪悪感が消えますから、自分を罰する人生から卒業することができます。素直に幸せを手に入れることができるようになるのです。」

 

東「はい分かります。まさにそうですね。原因の分からない罪悪感が、自分の中にいっぱいあります。」

 

私「だから自分のことが嫌いなんだよね。今までも、人を責めたりする自分もいますし、迷惑かけた自分もいます。しかしね、確かに今の人生でも迷惑かけてるとは思うけども、それほど大したことではないと思う。自分の人生を棒に振ってまで反省するほどの大きな出来事ではないと思う。」

 

東「そうですね。相手の人生をめちゃくちゃにしたとか、犯罪につながるようなことをした覚えはありません。」

 

私「そうでしょ。そこまでのことはしてないはずなんです。ということは、原因は今の人生にはないということです。前世に原因があるということが考えられます。」

 

東「でも、元夫に対する罪悪感はあります。別れたい別れたいと思っていて、別れたんですけども、その時に夫を傷つけたと思います。それはずっと私の中にあります。」

 

私「ではなぜあなたは別れたいとずっと思っていたの?」

東「結婚した時から、なぜこの人と一緒になったんだろうと思っていたんです。幸せと思ったことは一度もなくて、幸せだと思わなくちゃいけないんだよね。何も不自由なく優しい夫だし、何も悪いところない夫だったのに、一緒にいても幸せを感じなかったし、老後一緒にいる気もしなかったんです。」

 

私「もしかして、あなたの中に幸せになってはいけないとか、その資格がないという感覚がありませんか?」

 

東「幸せって何なのという感じはあります。」

 

私「だからあなたが幸せな環境から抜けようとするんですよ。」

 

東「確かにそうなんですよね。その時も周りから言われたんです。あんなに良いご主人で、恵まれてて、幸せなのになぜ別れるの?とたくさんの人から言われました。私もそうだよねと思っていたのに、なぜか別れるという選択をしたんです。」

 

私「結局そうやって自分の思い通りの人生を歩んでいるんですよ。

では改めて、今日このセッションを受けようと思った動機を、聞かせてもらっていいですか?何をどうしたいですか?」

 

東「今まで生きてきた人生の中で、常に不安感を持っていたんです。それって一体何なんだろう。なぜ私はいつも気持ちが落ち着かないんだろうと、ずっと思っていたんです。以前霊能者のような方に見てもらった時があって、その頃から前世のことに興味を持つようになって。夫のことと子供のことがずっと気になっていて、前世でも夫と子供と関係があったのかなというのがずっと気になっていて、その霊能者にそのことを聞いてみたんです。そうしたら、ご主人はあなたの事を奴隷としか思っていないと言われたんです。そう言われたら、もう早く別れようと思うようになったんです。」

 

私「ほんとにご主人はあなたを奴隷のように扱ってましたか?」

 

東「確かに言葉の暴力的なものもあったし、お互いに思いやりもなかったみたいで。なぜこの人はこんなに冷たいんだろうと思っていました。今考えると楽しいこともたくさんあったのに、夫の悪いところばかりに目がいってしまうようになりました。幸せなこともたくさんあったのに、悪い面ばかりに目が行くようになったんです。私はもうこんな人生は嫌だと思うようになったんです。子供に対しても、母親としてもっと母親らしいことをしてやれなかったと言う後悔もあるし。その頃は自分のことしか考えてなかったんです。さらに仕事関係やいろんな出会いがあった中でも、うまく付き合えないとか、本当の意味で自分をさらけ出せないと言うか、心から信頼できる人がいないという感覚です。」

 

私「ではもし人を信頼できたならばどうなりそうですか?」

 

東「人間関係がうまくいくようになったり、仕事がうまくいきそうです。常に自分の性格が嫌だったから、自分の評価が気になっているんだと思います。相手が自分のことをどう思っているかというのがいつも気になっているかな。本音で話ができていないと思うんです。上辺だけで付き合ってきた感じです。」

 

私「じゃあ、信頼できることができたならば人間関係が良くなると思っているんですね。それってプラスの側面ですよね。信頼することによるマイナスの側面が何かないですか?」

 

東「裏切られたらショックを受けます。」

 

私「裏切られると最悪どうなりそうですか?」

 

東「人間不信になって、ますます人が信用できなくなりますし、人と関われなくなります。引きこもるかもしれません。」

 

私「では、自分をさらけ出すことができたらどうなりそうですか?」

 

東「今の本当の自分を全部さらけ出したならば、人とうまく付き合えなくなると思います。」

 

私「どうして?」

 

東「自分の性格が嫌なので、そんな嫌な自分と付き合ってもらうというのが申し訳ないと言うか。批判的なところの自分というのが相手に伝わると、相手から付き合ってもらえなくなるという怖さがあります。」

 

私「本当の自分を知られると嫌われるということですか?」

 

東「そうですね。押し付けがましいし、自分の考えを押し付けたらみんな嫌がることになる。やっぱり怖いですね。」

 

私「他に気になることありませんか?なんでもいいですよ。」

東「人の目が気になるということと同じくらい、人って年を取ると本音を言わなくなりますよね。腹黒いところを隠して綺麗事を言うようになりますよね。そういうところがとても気になります。この人は本当は何を言いたいんだろうと思います。」

 

私「他人の本心には、腹黒い所があると思ってるだよね。でもね、実はこれも勘違いなんだよ。こういう部分は貴方の中にある。と言うか、そういう自分だった前世がある。だから、他の人にも有るんじゃないかと思ってしまう。あなたに限らず殆どの人が、表面的な自分で人と付き合おうとする。簡単に言うと、良い人を演じようとする。その奥に、あなたが言う腹黒い自分がいると思ってる。この腹黒い自分を本当の自分だと思い込んでいるし、これが本心だと思ってるわけだよね。だから他の人もそうだろうと思ってる。実はこれも勘違いなんだよ。そうではなくて、さらにその奥に本当の自分がいる。その自分は完璧な存在なんだ。これが真実の自分。仏教で言う仏性とか真我と言われるもの。言い換えれば神そのものの自分なんだ。これが本当のあなたなんだよ。しかし、その前にある腹黒い自分に捕らわれているから、その奥にある真実の自分に行きつかない。

そして、腹黒い自分を他の人に知られてはいけないから、良い人の仮面をかぶって、そこにまた壁を作っている。だから、神そのものの.自分に行き着かなくなっている。

だから、あなたが言ってる腹黒い自分がいったい何なのか、何故そのように思い込んだのかを明らかにして、その理由が解って、癒すことが出来たら、思い込みが無くなるから、壁が必要なくなる。そうすると、更に奥にある神てのもののあなたが出てくる。人生の流れが大きく変わる。

実はこの腹黒い自分は貴方そのものではなくて、神そのもののあなたが、そんな体験をしたかっただけ。つまり、腹黒い自分は貴方ではなくて、体験でしかなかった。言い換えれば、腹黒い役を演じただけ。こういう悪役を選択した自分がいただけ。○のあなたが、『×』という体験を選択した。

もう一度言うと、『×』という体験を選択したあなたがいて、あなたが『×』なのではない。